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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(4-2)奈留島~上五島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/3(金)~続きです。

 世界遺産になるならないは別にしても、古風で素朴な旧五輪教会は今まで見てきた下五島の教会群の中では、一番魅力がありました。船から名残惜しく眺めつつ、北東に隣接する奈留島へ。

 船からは木々に埋もれて見え隠れする江上教会。近くの船着き場から歩いて数分。台風が近づいているとの情報がありましたが、お天気も良く青く輝く海・・・大串湾のこの辺りは特に透明度が高く、桟橋から泳いでる魚も見えました。

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↓緑に囲まれた江上教会

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☆江上教会(国指定文化財)

 江上教会は1881(明治14年)に4家族が洗礼を受けたことで始まりました。この教会ができるまでは葛島の主任神父が信徒の家でミサを捧げていましたが、漁業で繁栄し人口も増えたため、1906(明治39年)に最初の教会が建てられました。その後、1918(大正7年)に地引網の利益で、鉄川与助の設計施工による現在の教会堂が完成。長崎県下の木造教会では最も完成された美しさを誇る建築として有名です。

↓正面外観。壁のペンキが少し退色したのも好ましく、控えめな風情があります。

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↓ここの特徴は屋根が重層。シンプルなロマネスク風持ち送り。

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 内部撮影は原則不可。I先生の取材も兼ねていましたので、入口からだけ撮らせていただきましたが、ここでは管理人さんのご迷惑になるので載せられません。身廊に張り出した小さなポーチ、三廊式。大アーケードや天井のリヴ・ヴォールトは半円アーチのロマネスク様式。木彫の柱頭彫刻は植物文様。大アーチ上部の壁面を飾るフリーズは複合半円アーチと統一されています。つくづく、ロマネスクの美は人里から離れたこのような景観に建つ小教会にこそふさわしいと。長い間追いかけてきた欧州の中世ロマネスク、こうして日本にもあるべきところに存在していたことに感動を覚えました。

↓近くにバス停はありましたが・・・1日(1時間ではありませんよ)何便か。

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↓ 道端のススキが風に揺れて・・・このあと疲れのためか、眩暈がして体調不良を自覚。

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 奈留島をあとに若松島へ。途中、キリシタン洞窟に寄り道しました。さきほどの眩暈が怖くて、岩場に降りて歩く自信がなく船に残りました。デッキで写真を撮ろうとしたらカメラの電池切れ。

☆キリシタン洞窟

 五島崩れのとき、若松島里ノ浦の信徒たちが、入り口を発見されにくいこの洞窟に隠れました。しかし、朝食を炊く煙を見つけられ、捕えられて拷問を受けました。いつしか、ここはキリシタンワンドと呼ばれるようなり、1967(昭和42年)、入り口の崖の上に3mのキリスト像が安置されました。

 岩場に直接船を寄せ、そこから上陸して見学するのですが、岩が波をかぶって滑りそう。見ているだけで怖いのに、大部分のツアーの皆さんは行かれました。大半がシニアの方たちですが、アクティブです~。断崖や洞窟の連なる険しい海岸線を眺めながら若松島の土井の浦へ。

☆土井の浦教会

 1916(大正5年)に中通島の大曽教会がレンガ造りに建て替えられたとき、木造の旧教会を土井の浦に移築(大正7年)。旧大曽教会は明治末の建築と推測されています。その後、1939(昭和14年)、1998(平成10年)に大改修、現在の姿は現代的なコンクリート造りです。

↓外観

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↓教会からの眺め

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↓ 内部は明治時代の木造建築の面影が残っています。蝙蝠天井と呼ばれる傘を広げたような、おおらかなカーブを描いて。

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 ↓ 午後の日差しがステンドグラスに差し込んで

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↓ 教会の周囲に咲く花。北海道では見かけない風船唐綿(ふうせんとうわた)

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↓これは?

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↓赤い彼岸花

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↓ ときどき見かけた黒い大きな蝶

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 大型台風が接近中とのことで、少し風が強くなってきました。若松大橋を渡り中通島へ。明日の予定だった中ノ浦教会を繰上げして見学しました。

☆中ノ浦教会

 中ノ浦は大村から外海の黒崎郷永田を経て、五島に移住してきたキリシタンの子孫とされ、明治初めの五島崩れでは日本人宣教師ガスパル与作の出身地が近かったせいで、とりわけ激しい迫害を受けたのです。その迫害に耐え信仰を守り、1925(大正14年)には教会堂が建てられました。鐘塔は1966(昭和41年)に増築。

↓ 深い入り江の奥に佇む白壁の木造教会

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↓ 内部は三廊式で側廊とは直線的な壁で仕切られて、柱頭を持たない円柱。側壁の上部に五島のシンボル椿の花のようなクロス模様が並んでいます。折り上げ天井。

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 朝の中ノ浦教会は橋を渡って対岸からの眺めが教会が水辺に映って、素晴らしいそうです。ただ明日は風が強くなるので波が立つと映しこみはできないでしょうとのこと。残念。

 中ノ浦で今日の教会巡りは終了。有川のホテルマリンピアに向かいました。このホテルにはコインランドリーがあります。食事の前に早速お洗濯。翌々日台風の高波のため本土との連絡船が欠航になったので、特に乾燥機が助かりました。海に囲まれた島だからでしょうか?湿気が高く、手洗いの後一日部屋干ししても乾かなかったのです。

 夕食は写真を忘れましたが、海のもの山のものとごちそうが並びが美味しくいただきました。昼間の疲れが残っていたのでしょう。背中が張って痛かったのですが・・・旅先での読書に夜中まで熱中してしまったのです。


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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(4-1)福江~久賀島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/3(金)

 当初は個人旅行で友人と五島列島を旅する予定でしたが、島内のタクシー利用に加えて、島と島の連絡が不便で、計画段階でギブアップ。旅自体をあきらめかけていた時に今回のツアーを発見したのが、I先生のロマネスク講座でのことでした。2年後にはユネスコの世界遺産に登録される可能性が高まり、そうなると観光化が進み、離れ島に観光客が殺到することも懸念されます。帰宅後、早速旅行社に申込みを済ませるというスピーディさでした。急なことでしたから、友人はすでに秋の旅の予定が決まっていて、ご一緒できないのは残念でした。

 世界遺産に推薦される教会は今回旅したすべての教会ではありません。五島列島では4か所ですが、今日訪れる旧五輪教会と江上教会、明日の頭ヶ島教会の3教会。もう一か所の旧野首教会は無人島の野崎島にあり、そこまで足を延ばすことは今回のスケジュールでは無理だったようです。

 この日はは福江港から船のタクシー(20人乗りくらい)で、まずは北隣の久賀島へ向かいました。

↓チャーターした船のタクシー

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 久賀島の田の浦港から丘の上の浜脇教会へは車のタクシーで、ツアーなのでほとんど歩きません。贅沢なものです。

☆浜脇教会

 浦上でのキリシタン迫害は浦上四番崩れと呼ばれていますが、そのあとに続く五島崩れの発端がここ久賀島で起こりました。その迫害の嵐が過ぎた1881(明治14年)に念願の教会が建てられました。その後の老朽化と信徒が増えたため1931(昭和6年)に建て替えられた五島最初のコンクリート造の教会です。以前の木造の教会は島の北側五輪地区に移築され現存しています(旧五輪教会)。

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 コンクリート建築の教会は石やレンガのヨーロッパのロマネスク教会を観慣れた目にはどうしても違和感があります。「あ、そう、立派ですね~」って感じになってしまいますが、この地に起きたキリシタン迫害の歴史を知ることで、観る目も違ってきます。特に久賀島での案内役を務めてくださった男性は隠れキリシタンで迫害を受けた子孫にあたるかたでしたから。。。

↓内部は三廊式で、大アーケードとヴォールト、柱頭彫刻。朝の光のなかで、広々と明るい空間です。

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↓教会の前はご多分に漏れず海の眺めが美しく広がっています。

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 この後は先ほどの案内の男性が同行して、島の北側にある「牢屋の窄(さこ)殉教記念教会堂」へ。

☆牢屋の窄(さこ)殉教記念教会堂

五島崩れと呼ばれるキリシタン迫害で、200人余りの久賀島の信徒が投獄。出牢後も含めて42名が殉教しました。12畳ほどの牢屋に200人が閉じ込められ拷問され、棄教を迫られたのです。幼い子供たちも含まれた酷い犠牲のあったその場所に1984(昭和59年)に人口の減少と3つの教会の統合のため建てられました。浜脇教会からタクシーで10分くらい。

↓丘の上の教会/記念碑と墓碑

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 この教会からは五輪地区までは直線で3Kほどですが、山道になり車は通れません。いったん田ノ浦港に戻り再び乗船。久賀島の南を半周して、崖下の小さな港の集落へ。

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↓ 船から見えてきた旧五輪教会(左)と五輪教会

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☆旧五輪教会(国指定重要文化財)

 さきほど訪れた久賀島西南の浜脇教会が1931(昭和6年)に建て替えられたとき、旧い教会を解体し、筏にしてこの地に運ばれ建てられました。しかし、この教会も老朽化のため昭和60年に新しい教会堂が少し離れた場所に建てられたのですが、オリジナルの旧教会は1881(明治14年)に建築された歴史的遺産として保存されています。

↓外観は古い民家のような木造教会

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↓正面の玄関間から入りますと中央扉口のステンドグラス

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↓内部に入りますと、ここが敬虔な祈りの場であることがひしひしと伝わってくる空間がありました。三廊式で板張り天井にリヴ・ヴォールト。

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↓ 窓の表情が特に素晴らしい。南側は山の緑を背景に、北側は海の青を背景に。

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 和風の木造建築にヨーロッパのキリスト教会の様式が見事に組み込まれたその美しさ。鄙びているなかに、凛とした趣に感嘆でした。

 昼時になりました。出航前に教会の横の石に腰掛けて、配られたお弁当を広げ昼食。豪華二段弁当でした。お味も◎。

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 午後はまた海上タクシーで奈留島に渡りました。

続きます~。


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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(3-2)福江島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

~続きです。

  午後からは三井楽エリアを抜けて南東に走り、楠原エリアへ。

☆水ノ浦教会

 室町時代、五島の領主が城を築き、遣明船の寄港地でもありました。水ノ浦のキリシタン史は寛政年間、外海の神の浦から移住した5家族に始まると伝えられています。村人は仏教徒を装いながら秘かに信仰を続けていましたが、明治元年に捕えられ、牢獄に入れられてしまうという悲惨な迫害を受けました。禁教令が廃止されて7年後、複雑な天然の良港の奥に1880(明治13年)に最初の教会が建ちましたが、老朽と手狭になったため、1938(昭和13年)に鉄川与助の設計施工により現在の教会が建てられました。

↓白い板張りの優美な外観

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↓ 左横に鉄塔状の鐘塔が建ってます。この後、何度かほかの教会でも同じような金属製の火の見櫓のような鐘塔を目にしました。初めは違和感がありましたが、台風の被害のことも考えますと、合理的ですし、五島の教会のオリジナルティとも思えて・・・。

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↓ファサード。水色にペイントされた3つの玄関開口部が三つ葉型。やや異教的でお洒落(笑)。

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↓小高い丘の上に建っています。

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↓丘からは水ノ浦港が眺められます。またこの近くにはキリシタン迫害時に仮牢として使われた場所の跡が残されています。

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↓内部 鉄川与助の建築としては最後のもの。外壁と同じ水色と白で塗装されたゴシック様式の空間。リブ・ヴォールトが傘のように優美なライン。木製の柱頭彫刻やステンドグラスも洗練された美しさ。

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↓ 丘を降り、港から水ノ浦教会を眺めました。

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 次の見学予定は同じエリアの楠原教会ですが、途中の楠原牢屋跡にも寄りました。さきほどの水ノ浦の仮牢に集められた隠れキリシタンたちは城岳の山越えをして、この楠原牢屋に入れられました。ここでは詳しく書きませんが、それは悲惨な迫害を受けたのです。

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 次はこの牢屋にごく近い楠原教会へ。

☆楠原教会

 五島藩が大村藩に要請した移住政策で1797(寛政9年)に第一陣が上陸、入植した地のひとつ。五島崩れと呼ばれるキリシタン弾圧を経て、1912(明治45年)、現在の教会が建てられました。記録が残っていませんが、鉄川与助の設計施工によるものと思われます。昭和43年に教会の東側はコンクートに改築。

↓レンガ造りの外観。ファサードは大小の切妻壁面の構成。均整のとれた美しさ。

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↓浅いポーチ。ステンドグラスに夕方の西日がさして綺麗でした。

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↓内部は三廊式。上昇感のあるリヴ・ヴォールト。薄茶と白のシックな色彩、ロマネスク風の木彫柱頭、壁面上部を横断する帯状の装飾も好ましい。

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↓教会の境内にはポルトガルのファチマの聖母と羊飼いたちの像。

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↓教会の説明板。写真にはブランコで遊ぶ子供たちの姿がありますが、隣接の幼稚園は廃園になっていました。ここに限らず、小中学校で廃校になったところも多く、過疎化と少子化が進む五島列島は他の日本の地方と変わらず(というより顕著かも)、大きな問題を抱えています。

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↓楠原教会の鐘塔も金属製の火の見櫓スタイル。

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 楠原教会で今日の見学は終了しました。ホテルに戻り休憩。夕食は同じ系列の離接するホテル(こちらはデラックス)でいただきました。きびなごやめばるなどの魚や五島の豚肉のお鍋も美味しかったです。

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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(3-1)福江島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/2(木)

 昨夜から心配していた天候ですが、この日は次第に晴れて良い天気になりました。朝食は和食か洋食のセットを選べるようになっています。和食のお魚が小さな鯵で質素でしたが、食後のコーヒーはまあまあ。簡素で小さなビジネスホテルでお部屋も狭いけれど、接客はいい感じです。

 今日の予定は福江島を一日かけて、ほぼ一周します。まずは宿泊している島の東にある五島市から西南端まで横断(約1時間)して、井持浦教会を訪ねました。

☆井持浦教会

 この教会の建っている玉之浦は五島にキリシタン迫害の嵐が吹き荒れた明治初期、唯一迫害を逃れた地区でした。1897(明治30年)フランス人宣教師ペルー神父の指導により建てられたレンガ造りの教会です。2年後にはペルー神父によってルルドを模した洞窟を作ることになり、五島の各地から岩石が集められ、教会の背後に設置。そしてルルドから取り寄せた奇跡の水を注ぎ、聖母マリアの像を設置しました。こうして日本で最古のルルドの泉が誕生したのです。               五島では初のロマネスク風の教会で有名だった初代の教会も建築後90年後の台風で大きな被害を受け取り壊され、1988年(昭和62年)に再建されました。

↓外観

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↓隣の受付棟にあった昔の教会の写真。ファサードの頂には壁式の破風のものですし、ほかの部分も昔の方が趣があります。同じものに復元しなかったのは何故?

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↓ 内部の写真はI先生の取材目的といえども禁止のところも多く、ここも微妙なので1枚だけパチリ。

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↓ 日本最古のルルドの泉。泉の水もペットボトルに汲んできました。ちょっと土臭くてあまり・・・でした。

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↓ 当初の予定にはなかった立谷教会跡地にも寄ってみました。

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☆立谷教会跡

 大村藩主の側近鶴田沢右衛門はキリシタンであったため五島藩に預けられ、この地立谷に幽閉されたのですが、そののち移住してきた人々と共にキリシタンの集落ができました。しかし明治建立の教会堂は1987(昭和62年)の台風の被害の後に自然倒壊。信者さんたちは近くの井持浦教会に通うようになりました。

↓道路からも見える墓地

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↓ここから山道を数分歩くと立谷教会の跡。記念の祠とベンチが並んでいました。今でもお祈りに来られる信者さんがいらっしゃるのかしら・・・。聖母マリア像は立谷教会にあったもので、1999年に跡地を整備したときここに移されました。

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↓黄色い彼岸花がまだあちこちに咲いていました。

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 離島の草深い地に残るクリスチャンのお墓と咲き乱れる秋の彼岸花は物悲しい風景でした。   そしてそんな感傷を振り払うように美しく広がる玉之浦湾や入り江を眺めながら、バスに揺られて北上。30分くらいで次の訪問地貝津へ。

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↓ 刻々と変わる秋の空、それに呼応する海の色。貝津港に着くころは曇り空で、左に見えるのは嵯峨の島。

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☆貝津教会

 大村藩から三井楽の他の地に移住した潜伏キリシタンが後に竹山集落に再移住してから貝津教会の歴史が始まりました。明治初期に迫害がここにも始まり責苦や牢に入れられました。禁教の高札撤去から半世紀後の1924(大正13年)、40戸の信徒たちにより木造の現教会が建てられ、使徒聖ヨハネに捧げられました。1962(昭和37年)増改築。三角屋根の小さな尖塔はこの時に付け加えられたものです。

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↓ 内部は三廊式の空間で主身廊のベージュ色の木天井はモールデイングで菱形文様が施されて、

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↓木造の柱頭もすっきりした植物や幾何学文様。色鮮やかなステンドグラスからの光が堂内を満たして、ため息が出る美しさ。

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↓中央後陣

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↓教会の傍は湿地帯のような雑木林が広がって。。。マムシも出そうな雰囲気(怖)。

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 貝津からさらに北へ数キロ走り、福江島の北西に位置する三井楽(みいらく)半島へ。

☆淵ノ元キリシタン墓地

 前方に嵯峨の島が浮かぶ東シナ海を望んで、三井楽半島の北西にある淵ノ元の海岸。ここにはこの地で信仰を守って生きてきた村人を埋葬する墓地があります。孤立して海を背にして墓碑が並ぶ風景。信仰のため心を一つにして生きてきた人々の魂が眠るところですから、淋しいとか陰気とかという雰囲気はありません。海岸近くに降りてみますと、小さな白や紫の花が群生して、風に揺れて咲いていました。

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↓忘れられたようにぽつんと立つ無縁仏(キリスト教ではなんというのかしら?)でしょうか。台座は蓮の花の和洋折衷型。

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☆三井楽教会

 三井楽には藩の移住政策以前の安永年間から外海より移住した潜伏キリシタンの子孫が住んでいました。五島崩れと呼ばれるキリシタン迫害の後、1880(明治13年)に初代の教会が建ち、増改築を繰り返して、1971(昭和46年)に現在の教会が建てられました。新しい教会ですから当初は見学の予定はなかったのですが、昼食の予約した時間に間に合いそうなので寄ってみました。

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↓ ステンドグラスは珍しく説話が主題ですが、シンプルな表現のキリストや聖母マリアや天使たちが新しい聖堂にふさわしく、新鮮な空間を生み出しています。

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 ランチは「三井楽道の駅」内のレストランで。入口の看板に1080円のバイキングとあったので、美味しくはないかもと思ったのですが、食べてびっくり!品数も多く、家庭的なお味の煮物や酢の物も旨いし、五島名物の釜揚げうどんもお替り。こういうところでは写真を撮ってる暇もありません(笑)。東京では3000円はするわね~とツアーの皆さんも驚きの低価格。ですから予約しなければ席はなさそうなほど繁盛していました。

続きます~


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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(2)羽田~長崎~福江 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/1(水)羽田7:25→長崎9:20(JAL)....長崎港11:30~~福江港12:55

福江/五島バスターミナルホテル2泊

 集合時間の6:40に間に合わないと思い、朝食はパスするつもりでしたが、羽田のホテルはさすがに朝食時間は早く5時からオープンとのこと。この日は昼食が遅くなりそうなので、別料金でしたが朝ごはんをいただきました。ブッフェスタイルで、なかなか充実した内容、朝早くなのに食欲旺盛でした。実はこの後もずーっとこの食欲は衰えを見せず、どこでもほぼ完食。当然体重が1週間で1K増えてしまいました。1Kくらいと思ってはいけませんよ。私の場合はこの1Kがトラブルのもとになるのです(詳しくは後程)。

 JALのターミナルまで移動してもホテルから10分で集合場所に到着。添乗員さん、講師のI先生、参加のメンバーは13名(一人参加のかたが9名)で、長崎に向かいました。長崎の空港からフェリー乗り場に移動。

↓長崎港の埠頭(大正時代に使われていた錨の記念碑)

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 ジェットフォイルに乗って1時間半、五島列島の福江島に上陸しました。昼食は福江港に近い居酒屋さんで、海鮮釜飯のセット。釜飯は好きですが、全部食べきることは最近はなかったのに、ふっくらと薄味に炊けていて旨い・・・と、残さずいただきました。

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 ↓五島列島の地図/ 福江島は下(南)の一番大きな島です。

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 午後から福江島の北にある2つの教会を訪ねました。まずは小型のバスで15分ほどの堂崎教会へ。駐車場で降り、少し歩きました。

↓この日は曇り空でしたが、静かな入り江(戸岐港)の景色。

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☆堂崎教会

初代の教会は1880(明治13年)に下五島担当のマルマン神父によって建てられ、この地が宣教の拠点になりました。現在の教会は1908(明治41年)にペルー神父によって献堂された五島最古の赤レンガの教会です。鉄川与作がそのころ従事していた棟梁のもとで建築に参加、大正6年の改築工事を指揮しています。また日本二十六聖殉教者に捧げられ、キリシタンの資料館も兼ねています。

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 内部は木造の細いリヴ・ヴォールトを戴く三廊式のゴシック様式。ロマネスク的な木彫りの柱頭彫刻やシンプルなデザインのステンドグラスが美しい。

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↓ 教会は裏山と入り江に挟まれて建っています。

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↓ 教会に離接する売店(カフェのようですが、誰もいません)の前で、ワンちゃんが通せんぼ。「もう、帰っちゃうの~」みたいな目つきで可愛い。

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 次に訪れたのは半泊教会です。山道の入り口にタクシーが待ってました。バスから乗り換えて、すれ違う車もない細い道を走り数分で到着。

☆半泊教会

半泊とは外海から来た移住者が半分は別の地へ移住し、半分が留まった地という意味とか。1922(大正11年)に、アイルランドからの寄付と信徒の労働奉仕、鉄川与助の施工で建てられました。ここは聖パトリック(アイルランドの聖人)に捧げられた教会です。

↓教会の入り口のクロスが目印。なければ分かりません。

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↓民家のような外観。外壁は板張り。

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↓ 内部は折り上げ天井で三廊式。白い漆喰の壁と水色に塗られた天井。美しくも清らかな祈りの空間が広がっています。

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 天井のクロス模様はアイルランド独特の円環で囲まれたケルト十字架が中心になっています。木製というのがいかにもこの小さな教会にマッチしていて可愛いです。

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 教会正面、入り江に面したところに荒い石垣が築かれています。台風から守るために信者たちによって積まれました。

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↓その教会正面の半泊湾

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 このころから雨がぽつぽつ降ってきました。タクシーとバスに乗り継いでホテルへ。夕食はバスで20分ほどの辺鄙なところにある「香珠子 椿茶屋」で。

↓農家風の外観

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↓ 炉端焼き。炭火で焼いた魚貝や肉は格別の味です。お刺身も新鮮で、名前も初めての魚が多く五島グルメを堪能しました。

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 雨が強くなってきました。明日からの天気を心配しながら眠りにつきました。



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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(1)東京前泊 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

9/30 千歳12:00→羽田13:40(JAL)

 今回参加するM社のツアーは明朝6:40の羽田第一ターミナル集合なので、羽田第二ターミナルの東急エクセルホテルに前泊しました。

 機内で空弁の昼食を済ませ羽田へ。ターミナル移動は無料バスです。ホテルはターミナルに接続してて便利ですが、都内並みに高い値段設定です。6月に泊まった成田の同系列のホテルの2.5倍の部屋代でした。2時からチェックインができます。

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 小休憩の後は上野へ出かけました。何を勘違いしたものやら「国宝展」が始まっていると思い込んでいたのです。東博に着いたのは4時近かったのですが、それにしてもがらんとしていて・・・看板を見て気が付きました(汗)。でも日本ギャラリーにキリシタン関連の展示があると、またもや勘違い(この思い込みの激しさは?ですね)して、まずは1階の仏像のコーナーへ。

 2月に来た時とは展示がほとんど変わっていました。2体の小さな坐像の十一面観音がガラスケースに収まっていましたが、重要文化財である13C鎌倉時代(千葉小松寺旧蔵)のものは撮影禁止。

↓もう一体の十一面観音坐像(石川県白山市白山比咩神社境内出土)13C鎌倉時代

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 時間もあまりないので、係員にキリシタン関連の展示の場所を尋ねましたら、平成館にあるとのこと。

↓連絡通路になっている古い展示室(下の写真はこの部屋の凝った壁紙)を抜けて

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 平成館1階の小さな展示室での「キリシタン関連遺品展」10/5で終了。

 「室町幕府の力が衰え、大名たちが勢力争いを始めた戦国時代。イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルがキリスト教を広めようと薩摩(さつま、今の鹿児島県)の港におり立ったのは、天文18年(1549)のことでした。それから約40年間、宣教師たちのたゆまぬ布教活動により、キリスト教は日本全国へと広がっていきました。しかし、キリスト教布教を後押ししたスペインが、布教を利用して領土拡大をもくろんでいると見て取った豊臣秀吉は、キリスト教を禁じ、キリスト教に関わる施設、信者ら一切を排斥しました。次第に厳しくなる弾圧の中、それでも信仰の灯が完全に消えることはありませんでした。

突如、ヨーロッパから入ってきたキリスト教は、日本においてどのような形で信仰されたのでしょうか。会場前半は、キリスト教受容期に宣教師が布教活動のため日本に持ち込んだ品々を展示しました。象牙(ぞうげ)のキリスト像や美しい版画を囲みながら、信者たちが覚えたてのラテン語の讃美歌を歌うミサの様子が目にうかびます。後半には、禁教時代、長崎奉行所が押収したキリシタン遺品を展示しました。遺品には信者たちのひたむきなの祈りがこめられています。(東博のHPから)

↓浮彫「キリスト像」16~17C。茨の冠い葦の杖のキリストの姿。写真でははっきりしませんが、線刻のEcce Homoは「この人を見よ」の意。鮑貝製なので、インドのゴアで造られた可能性が高いそう。

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↓板踏絵「ピエタ」 17C江戸時代、宣教師が日本に持ち込んだヨーロッパ製。背景にエルサレムの町。

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↓聖母像(親指のマリア) イタリア 長崎奉行所旧蔵品 17世紀

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↓ マリア観音像 中国・徳化窯長崎奉行所旧蔵品(安政3年浦上にて収納) 明~清時代・17世紀

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 このほかにもいくつかの中国福建省の徳化窯でつくられたマリア観音像が展示されていました。一般的な観音像に聖母マリアのイメージを求め、また表面上は仏教徒を装ったと思われます。

 明日からの五島列島の旅の前にこうした隠れキリシタンの遺品の数々を見ることができて、予備知識を得ることもできました。Bowlesさま、情報をありがとうございました。

まだ少し時間がありましたので向かいの展示室の埴輪のコーナーだけ見学しました。「縄文・弥生・古墳・歴史時代の代表的な優品を展示」というだけあって、素晴らしいコレクションです。

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↓ 一番のお気に入りは赤ちゃんをおんぶした母の埴輪でした。

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 5時です閉館です~の声に急かされて、平成館を後にしました。いつのまにかきれいに整備された上野公園。ホームレスの姿もなく、お洒落なカフェが緑の木々を背に建っています。コーヒーとケーキでひと休み。羽田に戻って、夕食はターミナル内のお手軽中華店でビールと担担麺。


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