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十一面観音巡りの旅(15)秋の大和路 [2014秋の京都(三井寺・青蓮院・相国寺]

11/5(水) 千歳11:50→関空14:05(JAL)/14:35→大阪難波15:13(南海)

 大阪国立文楽劇場の夜の部公演が 16:00開演なのでなるべく劇場に近いホテルと、ちょっぴり贅沢な「スイスホテル南海大阪」に1泊。改札を出たところからホテルへ行けるのですが、チェックインした後部屋に入ったりして、開幕に間に合わなくなり結局タクシーで劇場へ。開幕ベルが鳴る中を走って着席。今春の人間国宝竹本住大夫さんの引退公演は盛況でしたが、この日はガラ空き、60%ほどしか席は埋まっていません。7月には同じく人間国宝の竹本源大夫さん(82歳)も引退されましたし、このまま低迷が続くのでしょうか。。。伝統芸能の文楽の素晴らしさに私自身も最近になって目覚めたばかりですから、エラそうなことは言えませんが、なるべく機会をつくって通いたいと思っています。この日の演目は「奥州安達ヶ原」の4幕もの。悪魔のような老女「岩手」の登場する段はあまり上演されないそうですが、やはり残酷な場面。衝撃的でした。各地に伝わる鬼婆伝説の中でも能の「安達原」(黒塚)を再現したものとか。己の信じるもの、忠誠心(背景が封建社会)、欲望のために大なり小なり人間は狂い、悲劇が生まれるのです。幼いころの思い出ですが、隣家のおばさんがお話上手で、鬼婆伝説をよく聞かせてくれました。小さい子に怖い話は今はご法度でしょうね。

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 芝居の途中ではあまり空腹感はなく、ホテルに戻る前に隣の高島屋でベトナム料理の店を見つけ夜食(フォー、生春巻き、ビール)。

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↓部屋からの夜景

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11/6(木)

 「スイスホテル南海大阪」は外国人の宿泊者が多く、まるで外国のホテルにいるような雰囲気。

↓ホテルの朝ごはん。ブッフェ形式、コーヒーは自動のうえカップの受け皿なし。

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 午前中はチェックアウトまで部屋で読書やネットで調べものの後、黒門市場まで散策。

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 「まぐろや黒銀」の店先カウンターで鮪丼をいただきました。美味しかったけれど私には量が多すぎ。そのうえカウンターのおじさんが2切れサービスしてくれて、「う~ん」満腹・・・。

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 ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、近鉄電車で次の宿泊地奈良に向かいました。循環バスでJR奈良駅に移動。駅に隣接する「ホテル日航奈良」に2泊。 荷物を部屋に入れて、早速外出しました。駅前からバスに乗り大安寺へ。昨年の春から始めた十一面観音巡りのうち「大和路秀麗八十八面観音巡礼」の最後の観音様のお参りです。

 「大安寺」バス停から1Kくらい歩きます。参道の看板が見えました。昔はここから大安寺の敷地だったのです。

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 その大寺も今はひっそり、訪れる人もまばらな古寺です。10/1~11/30まで本尊の「十一面観音立像」が特別公開されています。

☆大安寺

 代々の天皇ゆかりの大寺として繁栄した大安寺は、聖徳太子が創建した熊凝精舎が始りと伝えられています。710年に聖武天皇が平城遷都の折に大安寺も遷され、大規模な造営が始まりました。大和国出身の道慈が長安に学び、唐の西明寺を模して大安寺を作ったと言われています。広大な寺域には金堂・講堂を中心とする主要伽藍と僧坊が建ち並び、その中に887人もの僧侶が居住して勉学修行に励みました。829年には真言密教を伝えた空海も一時ここで別当と補され、活躍。しかし度重なる火災や平安遷都により、次第に衰退してゆきました。秀吉の時代の1596年の大地震で殆どの伽藍が壊滅。再建が難しくなり、明治時代になって個人の私財によって小堂と庫裏一棟を建立。昭和になってから旧境内288.000㎡が「史跡大安寺旧境内」として史跡指定されました。

↓南都七大寺の大安寺。ガン封じのお寺としても知られています。

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↓ 大安寺の十一面観音立像(秘仏) 国重要文化財(奈良時代)像高190.5

カメラ禁止の注意書きがなかったので一枚だけ撮らせていただきました。上にたれた幕が邪魔で下にしゃがまなければ、お顔が見えません。左手に宝瓶を執り、右手は垂れて与願の印を結ぶお姿。写真よりも優美な観音さま。胸部の瓔珞は精巧華麗に刻み出され、体部と柔らかい衣の流れ。全身に自然体なオーラが漂う表現が素晴らしい。

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 御朱印をいただいて、元の道を戻り奈良駅へ。バスを乗り換えて奈良国立博物館に向かいました。

 続きます~

 

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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(5-2&6.7)上五島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/4(土)~続きです。

 有川から頭ヶ島までは1981年に上五島空港ができた時に橋が架けられ、簡単に行けるようになりました。ただ現在はこの空港は利便性がなく(山の上で風も強く)閉鎖状態とのこと。莫大な費用が掛かってます。勿体ない・・・。目先の土木工事の利権だけの悪政の象徴みたいなものですが、橋ができたおかげで、短時間での頭ヶ島往復が可能になりました。世界遺産申請中のキリシタン教会群に挙げられている頭ヶ島教会があります。

 ☆頭ヶ島(かしらヶしま)教会 国指定重要文化財

 頭ヶ島は幕末に移住が始まり、1軒を除いたほかの住民は全員キリシタンでした。1867(慶応3年)鯛ヶ浦出身のドミンゴ森松次郎も頭ヶ島に移住し、伝道養成所も兼ねた聖堂を建設されました。しかし、明治元年の「五島崩れ」の迫害により、島の信徒たちは牢屋から逃げ出し、一時島を離れました。彼等の子孫が1917(大正6年)に現在の教会を鉄川与助に設計施工を依頼し建立。教会は五島でも唯一の石造建築です。

↓峠から教会を遠望

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↓外観/この島の石を使用し、ロマネスク建築をイメージしたもの。

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↓内部/単廊式の内陣。側面から二重の持ち送りが支える折り上げ天井と華やかにペイントされた花文様がチャーミングな空間です。「可愛い~!」系の日本独自の美的感覚が活かされています。

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↓ 教会正面の100Mくらい先は海です。右に墓地。

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↓午後になり、台風の影響で、波が高くなってきました。

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 頭ヶ島を離れ、有川の南の鯛ノ浦へ向かいました。この後は鯛ノ浦教会とと福見教会で予定終了しましたが、腰痛の上に強風が吹き、見学に身が入らなかったせいでしょうか、記憶がいまいち。。。

☆旧鯛ノ浦教会

 ここ鯛ノ浦も「五島崩れ」の迫害があり、明治3年にここに戻った信者の家族が「鯛ノ浦の六人斬り」の犠牲になっています。ブレール神父によって恵まれない子供たちの養育院が1880(明治13年)に建てられ、翌年には教会も建設されました。しかし、明治18年にブレール神父は海難事故に遭い、信者12人とともに殉教。現在残る教会はその後派遣されたペルー神父により1903(明治36年)に建てられたものです。昭和54年に新教会が離接地に建てられたため、旧教会は資料室として保存、図書室や集会室にも使われています。

↓外観/西玄関の方形鐘塔はレンガ造り

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↓外壁は下見板張り

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↓内部/三廊式、リヴ・ヴォールトが繊細に空間を覆い、ステンドグラスもシンプル&シックな色調。

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 午後4時を回りました。最後の福見教会のある浜串エリアへ。丘の上に建つ教会ですから、強風に加え寒さも身に沁み、気もそぞろになってきました。写真もあまり残っていません。

☆福見教会

 1799(寛政11年)、外海から5人のキリシタン信者が迫害を逃れて移住してきたのが始まりとされています。「五島崩れ」のときは一時島を離れましたが、再びこの地に戻り、荒れた土地の再建に尽くしました。初代の教会は台風などの被害に遭い、現在の教会はレンガ造りで1913(大正2年)に建てられました。

↓外観の写真はこれだけ。。。正面の南方向から撮ったもの。左に箱型のナルテックスの一部。

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↓内部/三廊式、折り上げ(船底)天井、

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↓ 後陣はコンクリートで改築されています。

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 有川まで帰途は1時間かかりましたが、ユーモアたっぷりのバスガイドさんのお話と暮れゆく五島の景色を眺めながらホテルに戻りました。

 夕食はツアーの旅の最後なので豪華版。すべて美味しく完食しました。

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 この夕食の時点で、明日の長崎ほかの本島との船はすべて欠航と決まりました。ここ有川で足止めです。せめて長崎まで行きたいと思ったのですが、仕方ありません。3冊の文庫本を持ってきて良かったです。

10/5(日)

 朝、目が覚めて窓の外を見ると、木々が倒れそうなほどの強風です。1泊延泊代は5000円(朝食込)でした。仕事があるから帰りたいという一人を除いてはリタイアした人たちばかりです。朝、I先生の提案された追加ツアーに参加される方がほとんどでした。私は腰痛に加えて「五島列島のキリスト教会」はもうここまでで充分、正直飽きたな~という不遜な考えが浮かびパス。残られた方もヨーロッパのロマネスク教会をあちこち行かれている方で同意見でした。ということで、一日ベットでゴロゴロしながら読書三昧。昼食は添乗員さんが手配してくださって、お弁当。夕食は追加ツアーから戻られたI先生を加えて数名で有川の居酒屋で、五島の海鮮&うどん。ホテルの車の送迎付きなので楽ちんでした。

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10/6(月)

 台風は九州の南から四国方面に抜けた模様で、朝になってからメインの船会社でないローカルの船会社が出航することが分かりました。ところがこれから関東方面に台風は移動するわけですから・・・長崎から東京と乗り換えての札幌までの飛行機が心配です。私は札幌と羽田の飛行機はシニアチケットで乗るつもりで手配していませんでした。考えた結果長崎から福岡に移動して、直行便で札幌に帰ることにしました。朝の時点では15:30頃のJAL便に空席もあり、大丈夫と思ったのです。ところが移動中に長女から連絡が入りJAL便は満席との知らせ。これは福岡でまた延泊かな~と諦めつつも、長崎駅でツアーの皆さんとお別れして

↓長崎駅から11時ころの特急で博多へ。2時間後に到着。

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 キャンセル待ちでもという望みを持ち博多駅から地下鉄で空港へ移動。博多から空港までは以前来たときはバスだったのですが、便利になりました。十数分で到着した空港の出発ボードでは、やはりJALの札幌便は満席の×印です。そして何気なく右側のほうを見ましたら「スカイマーク」の札幌便があったのです!しかもJALより早く1時間後に出発です。残席少しの△マークもついています。この後の私の行動は我ながら素早いものでした。たまたま持参していた保険証のおかげもあり、シニア料金15000円で札幌行を無事ゲット。ついでに明太子のお土産や、昼抜きでしたからお弁当も買う余裕がありました。JALの会員ということもありますが、格安航空会社が福岡便を就航していることも知らなかったのです。いい勉強になりました。「スカイマーク」は機体も古いわけでもなく、カウンターやFAも感じの良いサービスでした。

 最後の記事アップが遅れたうえに、台風のトラブルの件もあり長くなりました。まだ書き足りないところも多いのですが、憧れだった「五島列島のキリスト教会巡礼」もツアーでしたが、行くことができました。ひとつ宿題を終えたようなすがすがしい気持ちでおります。

↓五島巡礼手帳(スタンプ帳)

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 この旅に加えて、東京への音楽の旅や関西方面の古寺巡りなど大忙しの秋でした。これから長い冬に入りますが、続いて「十一面観音巡り」も復習がてら、ブログ更新しようと考えております。(終)


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五島列島のキリシタン教会を巡る旅(5-1)上五島 [2014初秋(五島列島カトリック教会群)]

10/4(土)

 昨夜の夜更かしがたたったのか、ベットから起き上がるとき腰が重く、狭い浴室での何気ない動作で痛みが出てきました。この日は一日中、マイクロバスの乗り降りも激しい日でしたから、次第に痛みが強くなってきました。座ったり立ったりの動作や靴紐を結んだりがスムーズにできません。ただ歩行には差し障りがなく、普通に歩けたのが救いでした。

 さて、朝食後はホテルのある有川から上五島の教会巡りをしたのですが、台風の影響を恐れて昨日は前倒しで見学したところもあり、当初とは訪問先の順序が変わりました。こういうときにきちんとメモをとるという作業を怠り・・・順序通りでないかもしれません。

 上五島の北東に位置する中通島の青砂ヶ浦地区へ。奈摩湾に面して2つの教会が向かい合って建っています。

☆青砂ヶ浦教会(国指定重要文化財)

 奈摩湾を見下ろす高台に建つ赤レンガ造りの教会。幕末の浦上三番崩れと呼ばれる迫害で帳方・吉蔵はここ青砂ヶ浦に逃れていましたが捕縛され、殉教しました。しかし、住民たちは迫害に屈することなく信仰を守り続けました。三代目になる現在の教会は1910(明治43年)に鉄川与助の設計施工によって建てられました。

↓外観

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↓正面扉口

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↓内部は三廊式で漆喰で仕上げられた白い壁と天井の尖頭アーチを描く木のヴォールトが日本的な穏やかさを感じさせる造形美。

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↓ステンドグラス

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↓コスモスの花に囲まれて

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↓眼下に奈摩漁港、向かい側がこの後訪れる冷水教会の方向です。

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☆冷水(ひやみず)教会

 同じく奈摩湾を望む高台に建っています。鉄川与助が棟梁として最初に設計施工した教会として知られています。ここ冷水は五島崩れ以前に住んでいた信徒は戻らず、新たに移住してきた信徒が共同体を作ったとのこと。1907(明治40)施工の木造建築。

↓ひやみずの名にマッチした水色に塗装された教会。正面ポーチの上に八角形の鐘塔を戴き

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↓内部は三廊式で、リヴボールトの力強さが印象的ですが、惜しいのは安っぽい蛍光灯がぶら下がっていること。美的感覚だけでいえば気になるという話で、実際ここで聖書を読まれたり、賛美歌を歌う信者さんたちにはなんの差し障りもありませんが・・・。

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↓冷水教会からの奈摩湾

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 五島列島の教会はすべて外靴では入れませんので、靴を脱いだり履いたりが腰痛で屈めない身には一苦労でした。ツアーの親切な方が見かねて靴紐を結んでくれたり、ヘルプしてくださって助かりました。その節は本当にありがとうございました。

☆大曽教会

 上記の奈摩湾から南西に数キロの青方湾に面した丘の上の教会。外海の池島などから移住した潜伏キリシタンの子孫が住む集落に最初の教会が1879(明治12年)に建てられました(木造)。その古い教会は前日訪れた土井の浦教会に移築され、新しい教会は1915(大正4年)にレンガ造りで竣工されました。郷土出身の鉄川与助の設計施工。ステンドグラスは西ドイツ製、柱頭彫刻は与助の父与四郎の手によるもの。

↓外観/正面に聳える3層の鐘塔玄関と大きく手を広げて立つ白いキリスト像が印象的。

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↓南側面/重層屋根の堅固な建築ですが、煉瓦の壁に白いルーバーの窓がエレガントな趣。軒蛇腹のフリーズの意匠も素敵です。

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↓北側の玄関の近くまで崖が迫っています。

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↓内部は三廊式。半円アーチ基調の大アーケードや天井のリヴ・ボールトがロマネスク的。束ね柱も重厚な趣。

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 大型台風が近づいてきて、風が強くなってきましたが、雨は降らなかったのは不幸中の幸いでした。有川に戻って、名物五島うどんの釜揚げセットの昼食をとり、近くのお土産センターでお買い物タイム。

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 続きます~。


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