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2016秋 湖北と明治村の旅 ブログトップ

(6)東京(7)帰札 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/10(木)

 ↓東京駅(八重洲口方面)を眺めながら朝食

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  年々体力が衰え、以前のように展覧会の梯子は無理になりました。特に夕方からは横浜でのオペラ がありますから、いくつか興味深い展覧会はあったのですが、比較的小規模のものを選び青山の根津美術館へ。

↓根津美術館エントランスまでのアプローチ。喧噪の街から来るとここは別世界 

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 ☆「 円山応挙展/写生を超えて」根津美術館開館75周年記念特別展

 円山応挙(1733-95)は江戸時代中期に京都で活躍した画家です。修業時代に眼鏡絵制作に携わり、西洋画の透視図法を習得。その後の研究により写生を重視した多彩なテクニックによる清新な画法を確立。円山派の祖となり 、門下には長澤芦雪など。多くの弟子からも慕われた人柄や京の町人文化の感性に立脚した画風も好まれました。この時の展覧会には京都の相国寺や三井記念美術館からの貸し出しのほか、個人蔵の作品が多数集まり、好評でした。

↓ 「雪松図屏風」(国宝)三井記念館蔵/絵葉書をスキャンしたのですが、黄色が濃くでてしまいました

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↓「藤花図屏風」(重文)根津美術館蔵

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 常設展や茶道具なども鑑賞後、ホール(ここは撮影可)の中国の石仏や庭園を観て歩きました。

↓菩薩坐像頭部(中国天龍山石窟 706年ころ )

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↓十一面観音菩薩立像(西安宝慶寺)唐時代 

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↓上部の飛天 の微笑みに思わず「可愛いね!」

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↓ 根津美術館はナチュラル感覚の庭園 が素敵。木々の間から見え隠れする茶室や道端の石仏に旅の疲れも癒されます。

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↓庭園内のカフェ(裏側)。一休みしたかったのですが満席でした。

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 東京駅まで戻り、焼きそばのランチ・セットの昼食をとり、ホテルへ戻り仮眠。旅に出る直前まで17:00開演と思い込んでいたので、終演後、札幌の友人たちと中華街で夕食するつもりだったのですが・・・時間的に無理なので諦めました。

↓神奈川県民ホール

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♪~モーツアルト『フィガロの結婚』19:00開演 神奈川県民ホール

 指揮:リッカルド・ムーティ  演出:ジャン=ピエール・ボネル 

アルマヴィーヴァ伯爵:イルデブランド・ダルカンジェロ    伯爵夫人:エレオノーラ・ブラット   フィガロ:アレッサンドロ・ルオンゴ   スザンナ:ローザ・フェオーラ   ケルビーノ:マルガリータ・グリシュコヴァ

 前年ウィーンでミンコフスキのフィガロを聴いてました。しばらくは耳に残るほどの秀逸な演奏だったのですが、さすが!棒を振った瞬間からムーティさまだな~と感じ入りました。好みは別にしてやはりイタリア色の濃いムーティの指揮は格別です。歌手たちもダルカンジェロは最盛期に比べると?と思いましたが、3階で聴いた友人の話では一番声が飛んできたというので、まずまずだったのでしょう。他はあまり知られていない方たちでしたが、それぞれの努力の跡がみられ(さぞかし、ムーティにシゴカレタことでしょうね)好感度高しでした。傑出した歌手のいない代わりまとまりがあり、指揮とオーケストラに助けられて、一体感のある舞台にしあがって、楽しめました。幕間では見つけられなかった札幌の友人と帰りはようやく一緒になれました。最近はそれぞれ多忙でゆっくり会えないままでしたので、東京駅の地下のバールでちょい飲み。近況を伺ったりオペラの話も尽きませんが、11時の閉店で退出。札幌での再会を楽しみにお別れしました。

11/11(金)羽田15:30→千歳17:00

↓朝からお刺身(笑)食べて、のんびりチェックアウト。 

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 この日は歩き回るのもやめて、久しぶりに東京駅丸の内口のオアゾの本屋へ。帰途読む本を購入。1時過ぎるとレストランも空きますので、同ビルで↓昼食を済ませ、羽田に移動。コートにキルティングをセットして

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 千歳に着くといつもながらこの時期は東京に比べると寒くてブルブル。こうして、晩秋の1週間の旅は無事に終わりました。

札幌はまもなく雪が降って、本格的な冬が始まりました。コメントにも記しましたが20年間オペラの楽しさを教えてくれたO先生が12月初めに突然逝去され、衝撃と悲しみのうちに2016年も終わり、新しい年2017年を迎えました。リーダーを失いましたが、仲間で励ましあって会を続けられたら、天国の先生も喜ばれると思います。

次の遠征も近くなり、そろそろ予習と準備に入ります。ここまで読んでいただきありがとうございました。(終)

 

 

 

 

 

 


タグ:根津美術館

(5)名古屋~東京 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/9(水)名古屋→東京

 ホテルの朝食室は和服姿の女性が多く、いつものビジネスホテルらしからぬ艶やかな風景です。お隣のテーブルの方に尋ねたところ、名古屋で表千家の大茶会があり、昨日地方から貸し切りバスで到着されたとのこと。

↓朝食ブッフェには名古屋名物の味噌カツやどて煮が並び、お味も◎

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 9時ごろの新幹線で東京へ。ウィークディなので空いているかと思えば、座席指定も残りわずか。小型キャリーとはいえ荷物置き場もありませんので、困っていましたら、隣席の50代前半?の女性が網棚に乗せてくれて感謝でした。前後左右の若いビジネスマンたちはいつもながら知らぬふり(または気がつかない・・・)。隣席の女性は実家のご両親の様子見と空き家(転勤のため)の掃除をかねて横浜へ行かれるそう。親切で気さくなかたで、話が弾みました。降車の時の心のこもったお別れの言葉と言い、このかたの夫君は幸せ者だな~。

 ホテルは東京駅八重洲口近くの龍名館ホテルに2泊しました。今回の旅の問題点は服装です。前半は一部山歩きなのでリュックにスニーカーのスタイル。後半の東京はオペラ観劇ですからそれなりの恰好をしなければなりません。それで、東京で着るものとか靴は別にこのホテルに宅配していました。チェックインの時間には早いので、お部屋で着替えはできませんが、トイレの横に小部屋があり、着替えができました。2014春、孫たちとTDLで遊んだ帰りにここを使ったことがありました。

 15:00からのオペラ観劇の前に東博の「櫟野寺展」も見学予定です。再度荷物を預けJRで上野駅へ。東博では同時に「禅展」も開催中でしたが、15:00からのオペラの前に体力的にも時間的にも無理と判断、櫟野寺だけに絞りました。実は櫟野寺は昨秋滋賀のミホミュージアムに行ったとき十一面観音巡りの目的で拝観に伺う予定でした。ところがあいにくの悪天候で、交通不便なかくれ里にある櫟野寺は断念、佐川美術館に変更していたのです。今回思いがけず東京で秘仏でもある十一面観音に会えるとは!という喜びと、オリジナルの場所で拝観したかったなという想いもあり、複雑でした。なお櫟野寺は仏像館の改修のため、この展覧会が終わっても平成30年の秋までは拝観できないそうです。

☆東京国立博物館 /特別展「平安の秘仏」滋賀櫟野寺の大観音とみほとけたち

 出品目録によりますと、出展された20体のほとけたちは全て重要文化財に指定され、平安時代の10世紀から12世紀の制作とのこと。展示室の中央に高さ312.0cmの巨大な十一面観音座像、周りを囲むように19体の毘沙門、吉祥天、地蔵菩薩などが並びます。

↓ 十一面観音座像/平安時代10世紀 ヒノキ材の一本造(図録からスキャンしました)

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 今までの十一面観音の拝観体験の中では立ち姿 (立像)がほとんどでしたから珍しく、またその巨大(座高3m越え)な威厳あるお姿は強いインパクト。通常は厨子に祀られていますが、ここではぐるりと回って鑑賞できました。また、ほかでは十一面観音の頭上にあり、小さくて良く見えない観音様たちも比較的細かく観察できたのも◎でした。櫟野寺の寺名にもあるように櫟(いちい)の巨木があったところ(現在は切り株だけが残る)で、背後は鈴鹿山脈が連なっています。その巨木信仰の灯(あかし)のような仏像表現は見ごたえがありました。

↓ 薬師如来坐像/平安時代12世紀 像高222.0cm

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 左の手のひらに小さな薬壺(やっこ)をもち、人々の病気平癒や延命長寿をつかさどる薬師如来。本尊の十一面観音坐像と同じような切れ長の眼をもちますが、その役割上?穏やかな面差しとシンプルな表現。元は櫟野寺の奥にあるお寺の本尊であったと伝えられています。

↓十一面観音立像/平安時代12世紀 像高97.9cm 木造彩色

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 頭上たちも、両肩から先も 失われていますが、きりっとした顔とウエストの細いスタイル。並んでいるほぼ同じ高さの観音様たちのなかでは一番洗練されています。施されていた彩色もほとんど剥げ落ちていますが、表れた木目が美しく、甲賀のかくれ里に伝わる観音信仰を肌で感じたひとときでした。

 ランチは隣のレストランで、混雑していましたが15分ほど待ち、軽く済ませ東京文化会館へ移動。

♪~ワーグナー『ワルキューレ』15:00開演

 指揮:アダム・フィッシャー  演出:スヴェン=エリック・べヒトルフ 

 ジークムント:クリストファー ・ヴェントリス   フンディング:アイン・アイガー   ヴォータン:トマス・コニエチュニー   ジークリンデ:ペトラ・ラング   ブリュンヒルデ:ニーナ・シュテンメ  フリッカ:ミヒャエラ・シュースター   

オーケストラ:ウィーン国立歌劇場管弦楽団

 ウィン国立歌劇場の日本公演は当初ずいぶん迷ったのです。夫の体調次第ではまたもやボツになるかもと思い(チケットが高額!)・・・ それでも観たかったのはシュテンメがブリュンヒルデを歌うからなのです。2013年ロンドン、2014年ウィーンでブリュンヒルデを聴いてきたのですが、現在彼女の同役はスーパーだと思いますから見逃し、聴き逃しはできません。演出は2014のウィーン『ジークフリード』と同じです。舞台も私好みのシンプルで洗練されたもの。細かいことは割愛させていただきますが(というより忘却…汗)、指揮もオーケストラも素晴らしく、ワーグナーの世界に集中できました。シュテンメはややパワーが弱いように思えましたが(体型も痩せたみたい)、その分演技や動作が軽やかでチャーミングになりました。クリストファー ・ヴェントリスは2003年ウィーンの『パルジファル』が初めてでしたが(当時は新人)、それから中堅どころとして活躍、キャリアを積んできた成果に接することができたのも嬉しいことでした。コニエチュニーはやや粗くなる歌唱もあり、もう一歩研鑽を積んでほしいです。売れっ子になったからかな・・・。ペトラ・ヤングも良かったですし、これほどのキャストではヨーロッパでもなかなか出会えません。でも、かなり空席が目立ちました。ひしひしと感じる世の中の変化…といえば大げさかもしれませんが。

 何か月か前にチケットを購入していましたが席はカテゴリー3なので、2階の片隅。。。情報では売れ行きが悪く、ディスカウント・チケットが売り出されたそうで、なんか釈然としません。もう来ないかも。。。

↓私の席から 

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終演は8時ごろ。東京駅の焼き鳥屋さんで独りご飯。おでんなどもいただいてホテルに戻りました。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


(4-2)名古屋 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

↓ とろろ入りきしめんを食べて

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 ↓京都市電がちょうどやってきました。 

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 明治村に入園してから雨が 振り出し、路面電車で品川燈台に着いた頃は本降りになってきました。そのせいかどこも人影は少なく、品川燈台で降りたのは私だけ・・・。

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↓電車の駅から見下ろしたところ。左の赤レンガの建物は菅島燈台付属宿官舎(重要文化財)です

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↓品川燈台 /重要文化財   旧所在地 東京都港区品川 建設年代 明治3年(1870)

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 ここから4丁目に向かって雨の中歩きましたが、道に迷って時間をロス。内部見学はできないので写真だけ。

↓神戸山手西洋人住宅   旧所在地 神戸市生田区山本通 建設年代 明治20年(1887)代

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↓シアトル日系福音教会   旧所在地 アメリカ・ワシントン州シアトル市
建設年代 明治40年(1907)頃

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↓六郷川鉄橋と尾西鉄道蒸気機関車1号

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急ぎ足で進まなければ~まだ本命 は遠いようですが、素敵な建物を見ると足が止まってしまいます。

↓ 宇治山田郵便局舎/重要文化財  旧所在地 三重県伊勢市豊川町  建設年代 明治42年(1909

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 遠くに教会らしき建物が見えてきましたが・・・ 本命ではありません。

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↓ 呉服座/重要文化財   旧所在地 大阪府池田市西本町  建設年代 明治25年(1892)

呉服屋さんでなく芝居小屋です。 

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 ここから少し坂を上ると、先ほど遠望した聖ザビエル天主堂です。

聖ザビエル天主堂   旧所在地 京都市中京区河原町三條  建設年代 明治23年(1890) 

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 昨年、一昨年と五島列島、長崎、外海の明治期に建てられた教会を見て回りました。その時に長崎の伊王島にあった教会が明治村に移築されたと聞き、ここまでやってきたというわけです。上の京都から移築された聖ザビエル天主堂から更に奥まった場所にひっそり佇む木造の農家風の教会堂です。見学者は私だけ。

大明寺聖パウロ教会堂   旧所在地 長崎県西彼杵郡伊王島  建設年代 明治12年(1879

↓正面外観。鐘楼と玄関土間は昭和20年代に増築されたもの。 

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↓内部は三廊式の後期ゴシック様式  天井は「蝙蝠天井」と呼ばれる交差リブヴォールト。

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↓後陣(台形)外観 

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明治村の中でも正面ゲートからも遠く、奥まった場所にありますが、この素朴な教会堂にふさわしい・・・。 

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最後は同じ5丁目にある帝国ホテル へ。

帝国ホテル 中央玄関  旧所在地 東京都千代田区内幸町  建設年代 大正12年(1923)

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 ここもまた思い出の建物です。ほぼ半世紀前に卒業した短大の 謝恩会が帝国ホテルでありました。ほぼ全員が訪問着や振り袖姿の華やかな宴。中二階の室内楽の演奏など。。。ここで二十歳の自分を、遠い昔を想いました。帝国ホテルの旧館に入ったのはその時だけでした。

外に出ましたら、スピーカーで閉館が近いというアナウンス!「え~っ!!」すでに4時近く、慌てて蒸気機関車の乗り場に走って行きましたが、最終列車は出発してしまって・・・涙。

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雨も降りやまず、そのなかを正面ゲート目指して歩きました。犬山駅行きの最終バスが 4時半と放送してて、どうやら閉館時間と間違えたみたい・・・。案内板はあるものの建物の間の木々や坂が邪魔して、思うように進めません。園内バスも最終は閉園前の15分には終わってしまっていて、薄暗くもなってきて心細い・・・。なんとかバスに間に合って帰ることができましたが、国内だからと甘い考えで行動するとこういう不安な目にあうのだなと反省。

犬山から名鉄 で名古屋まで。夕食は名鉄デパートのレストラン街へ。評判の良い「鰻ひつまぶし」のお店はすでに10人ほど待っていましたが、椅子もあり座って待機。

↓で、念願の本場「ひつまぶし」香ばしい焼き上がりで美味しい~!ビールとおつまみもいただいて、大満足。

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 宿は今回で3回目のダイワロイヤルネットです。

↓部屋はレディース専用、マッサージ器もついてやや広め。

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↓浴槽も楕円形で広い。 

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 名古屋は観光地としてはあまり人気がないのか、札幌間の飛行機も安く(片道1万円弱)、ホテルも駅前で設備や朝食も良いわりに13,000円はリーズナブルでした。ホテル内の清潔なコインランドリーで洗濯も済ませ、就寝。

 

 

 

 


タグ:明治村

(4-1) 長浜~名古屋 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/8(火)長浜10:03→米原乗り換え→名古屋11:43

  長浜のビジネスホテルは朝食も格安です。480円ならパンとコーヒーくらいなのかと、恐る恐る1階ロビー横の朝食室へ。ここは朝食時間以外はカフェになっています。朝食のブッフェの内容は嬉しい誤算でした。ごはん、みそ汁、卵焼き、納豆 、青菜のお浸し、漬物など。食後のデザートは柿も食べやすくカットされて並んでいました。中年の女性が独り、厨房に立って賄い係です。ほかにはパン、コーヒーなども。コーヒーは持ち帰って部屋でゆっくりいただきました。

 長浜駅から米原までの列車に乗り込みました。そこでとんだハプニング! 列車の出発は特急「しらさぎ」の到着を待ってだったのですが、やがて向かいに滑り込んできたその「しらさぎ」をなにげなく見て、眼が点に。次女の夫の姿が、ほんの数秒だったのですがお婿さんも気がついたのか、「えっ?」みたいな顔。。。そして、お互いに合図する間もなく列車は動き、お別れ(笑)。そうなのです。あの「しらさぎ」に乗れば1時間で、次女一家の住む福井に行けたのですから・・・趣味優先の非情なおばあちゃんでございます(謝)。ところが、ちょうど越前ガニの解禁のころでしたから、次女夫婦は「おばあちゃん独りでこっそり越前ガニを食べに来たに違いない」って・・・ぶー(そこまで食いしん坊でないって)です。

 それにしても悪いことはできませんね。罰が当たったのか、この日は前日までの好天は一転し、曇天から雨が今にも降りそうです。JR名古屋駅から名鉄名古屋駅に移動して、コインロッカーを探したのですが空きがありません。近くで働いていたお掃除のおじさんに他にコインロッカーあるか尋ねたのですが、けんもほろろな応対でびっくり!「自分で探したらいいやら~」って(涙)今夜のホテルは駅の反対側で、そこまで預けに行くのは億劫です。仕方なく明治村までもっていく覚悟で、改札までエレベーター降りてゆくと、目の前にコインロッカーありました。また、行き先を確かめるために呼び止めた駅員さんも面倒くさそうな態度で、これまで回ってきた湖北の素朴な親切な人たちとの違いに愕然でした。

 犬山駅から明治村駅行きのバスに乗り換え、明治村の正面ゲートに着いたのはすでに1時半をまわっていました。この時勘違いがあり16:30の犬山駅行きのバスが閉園時間と思っていましたから、最後は。。。大汗。

一日見学しても全部を回るのは不可能ですから、旅に出る前にポイントは押さえてありました。まず、正門近くの売店で名物の熱々の コロッケを立ち食いしてから1丁目エリアへ。ゆるやかな「森の小道」の坂道を歩きます。

↓ 聖ヨハネ教会堂/重要文化財 旧所在地 京都市下京区河原町通五條
建設年代 明治40年(1907)

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↓ここの角度の屋根裏部屋的な 窓が特徴的で素敵です。札幌にもいくつか残っている明治の洋館の雰囲気がノスタルジックです。 

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 この日は特定の団体による催し物があり、内部は関係者だけしか入れないとのことでした。ここも対応が丁寧でなく 「申し訳ございませんが・・・」のひと言もなく憮然。。。

↓園内は樹木が多く、建物同士が目に触れないような配置になっています。

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↓ 西郷従道邸/重要文化財 旧所在地 東京都目黒区上目黒
建設年代 明治10年(1877)代

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時節柄、修学旅行や研修の生徒たちと一緒になりましたが、ここではガイドさんが 一緒に回ったので、そこそこ静かに見学できました。

↓応接室の暖炉は有田焼?

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↓2階半円形に張り出したベランダから先ほど訪れた聖ヨハネ教会が見えました。

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↓森鴎外・夏目漱石 住宅   旧所在地 東京都文京区千駄木町
建設年代 明治20年(1887)頃

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 明治の文豪ふたりが10年ほどの時期はずれながらも住んだことがあるという由緒ある住宅です。特に夏目漱石はここで『吾輩は猫である』を執筆したとのこと。縁側に回ってみたら偽物の猫が座っていました。赤い帽子の人形はたまたま一緒に写真を撮っていた一人旅の若い女性がそっと置いたものです。

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↓ ここから「偉人坂」を降りて2丁目に向かいました。

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2丁目の入り口は広い交差点のような広場になっていて、その角に

↓札幌電話交換局/重要文化財   旧所在地 札幌市大通 建設年代 明治31年(1898)

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 外壁の石についての説明はありませんが、札幌の石山軟石で造られたものと思います。半世紀前に結婚して札幌に住んだ当時は石山軟石の建物がまだ多く残っていたのですが、現在はほとんど見られなくなりました。残念です。2階の窓の下の胴蛇腹花紋は欧風で、無骨な石の建物の素敵なアクセントになっています。札幌郊外にも野外博物館の「北海道開拓の村」がありますが、開館は昭和58年とのことで、この電話局が明治村に移築された後だったのでしょう。貴重な文化財なので、北海道に残しておきたかったなというのが偽らざる心境です。

↓内部に陳列されていた 電話機のなかで、幼いころ実家で初めて設置された想い出の機種を発見!電話が鳴ると胸がどきどき(怖かったの)。気の小さな子供でした・・・。

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  2丁目の見学はこの電話局だけで終了。路面電車(京都市電)に乗って3丁目の品川灯台へ向かいました。

続きます~。 

 

 

 

 

 

 


タグ:明治村

(3-2)長浜 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 竹生島では80分の滞在時間がありましたが、昼食をとる暇はありません。でも、朝ごはんをたくさんいただいていたので空腹感もなく好都合でした。

↓竹生島の「琵琶湖八景」の記念碑。古くからの名所なので観光化しているのは仕方ありませんが、キャッチフレーズの「神秘的なパワースポット」という雰囲気はあまり感じられませんでした。

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↓再び乗船して長浜に戻りました。竹生島の近くに釣り人の姿。

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↓こんもりとした緑の竹生島とお別れ 

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 下船後は長浜の観光です。駅に戻る途中に大きな「豊公園」があり 奥に長浜城が建っています。

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今回の旅で巡ってきた湖北は賤ヶ岳をはじめ戦国時代の戦いに由縁があり、1573年の浅井家の滅亡後、秀吉の支配下に入った長浜は秀吉が築城したところとしても知られています。しかし1577頃の築城完成から 1615年の廃城まで、40年足らずの短い命運でした。廃城後は石垣や櫓材は彦根城に運ばれ長浜城は完全に失われました。現在の長浜城は1983年に再興され、内部は長浜城歴史博物館として公開されています。湖北の宗教文化や浅井家、秀吉と長浜などテーマ別の展示を見学した後天守閣の望楼に上り、長浜市内や琵琶湖の眺望を楽しみました。

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 そろそろ日が落ちてきました。駅前通りから「黒壁スクエア」の散策へ。途中で「曳山博物館」があったので、そろそろ閉館という時間でしたが見学できました。ここで初めて知ったのですが長浜の曳山祭りでは子供狂言(歌舞伎)があるのです。小学生の男の子たちが一生懸命練習して、晴れの舞台に上がるその日までのビデオを見たり、展示された豪壮な曳山 を見学。このとき全国の曳山や山車の祭り33か所がユネスコ無形文化遺産の登録を目指しているということも知ったのですが、つい2日前に登録決定したとのこと!おめでとうございます~

文化庁のHPより

http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/pdf/2015030501.pdf 

↓黒壁スクエアの街角風景 

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↓ここまでくると、さすがに おなかが空いて黒壁民家風カフェで「抹茶白玉小豆」

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 少し早めの夕食をと思いましたが適当なお店を見つけられず、ホテル近くの居酒屋で焼き鳥にビールと中華そばで済ませました。今夜の宿はホテルYes長浜駅前館というビジネスホテルです。昨日は高級宿で贅沢しましたので、料金も昨日の1/5と節約しました。朝食(480円)付き6300円でした。

↓ 部屋は狭いけれど清潔。セミダブルベットでゆったり眠れました。

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(3-1)高月~長浜(竹生島) [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/7(月)

 今日も青空の広がる良い天気です。朝の湖畔には白鳥や鴨などが多く飛来する姿がみえました。ここは「湖北野鳥センター」の水鳥公園になっています。朝風呂は大きいほうのお風呂に行きましたが、そこからの眺めも素晴らしかったです。

↓鳥たちが良く写ってませんが ・・・

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↓宿のロビー1階のベランダから(室内にはバードウォッチング用の望遠鏡も並んでいます) 

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朝風呂とバードウオッチングの後はお部屋で朝食です。熱々の蒸し野菜など食べきれないほどの豪華版。

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 10時にチェックアウトして、宿の送迎バスで高月駅へ。若い男性のドライバーさんが道産子で十勝出身の方でした。北海道から一人旅のお客さんは珍しいので、宿で話題だったみたいです(汗)。乗客は私一人でしたから高月駅まで10分ほどでしたが、札幌の話をしたりで楽しいおしゃべり。駅では私の姿が見えなくなるまで見送ってくださって、故郷を遠く離れて働いている若者がいじらしく思えました。

高月10:18→ 長浜10:28.。。。長浜港11:30~~竹生島12:00/13:20~~長浜港13:50

 長浜の駅前のホテルを予約していましたので、荷物をフロントに預けてクルーズ船の出航する港まで歩きました(約15分)。好天とあってツアー客を含めた乗客でほぼ満席で出航しました。

琵琶湖周辺の見どころは数多ですが、そのなかでも竹生島は群を抜いた存在です。『平家物語』の「竹生嶋詣で」や謡曲の「竹生島」にも神秘的な美しさを秘めた島として登場しているそうです。松尾芭蕉や白洲正子の日本文化を彩る琵琶湖の伝説にも惹かれます。

↓長浜から30分ほど、静かな湖面を進みます。

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↓竹生島港に到着です

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↓ 下から見上げた宝厳寺の三重塔

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↓覚悟を決めて165段の石段を登ります。傾斜はかなりあり、私の体力ではぎりぎりでした。

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シニアの男性から「よく登られましたね」と労われたので、相当よれよれ状態だったのでしょうか(汗)写真も撮り忘れたものもあり、お寺のHPからお借りしました。

↓石段(NETから拝借)。階段中央に手すりが付いていて、これに縋り付いて登りました。

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 登りきったところに宝厳寺の本堂があります。この日お参りした弁天様は前立の弁財天で、秘仏のご本尊は60年に一回開帳、次回の開帳は西暦2037年とのこと。

↓NETから拝借

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☆宝厳寺   724年に聖武天皇の命により、行基によって開基。西国三十三か所観音霊堂の第三十番札所です。本尊は日本三弁財天のひとつで、そのなかでも最も古いものです。本堂は昭和17年に再建され、弁財天が安置されています。

 西国三十三か所巡りのツアーの方たちで納経所は混雑していましたが、せっかくなので並んで御朱印をいただきました。宝厳寺はさすがの格式と申しましょうか、日付は手書きです。

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 船着き場から見えた三重塔 はオリジナルは江戸時代初頭のものですが、現在のは2000年に再建されたもの。その近くに小さな宝物殿があります。重文の古文書や太刀のほかに仏像も何点かあり、興味深い古像も展示されていましたが、撮影禁止のうえ詳しい説明書もなく、すでに忘却の彼方です。

↓宝物殿の近くに樹齢約400年のもちの木。片桐且元が秀吉の命を受け、伏見から都久夫須麻神社の移築をしたときに植えたといわれています。

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 その 都久夫須麻神社の一部は残念なことに改修中で唐門、観音堂、舟廊下は一部しか見られません。工期は25年6月から30年12月まで。

↓工事前の唐門(NETから 拝借)

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屋根まですっぽりテントで覆われていますが、入ることはできます。

↓ さすがに素晴らしい狛犬の彫り物が両サイドで睨みを利かせています。爪の形から元は台座に置かれていたのかも・・・。

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↓扉

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↓舟廊下は渡れました(船底の天井や縦桟の窓が素敵です)

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↓廊下の先は 都久夫須麻神社の本殿です(写真禁止なので社殿外から望遠で)

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☆都久夫須麻(つくぶすま)神社は平安時代

↓都久夫須麻神社本殿(国宝) 関白秀吉が時の天皇をお迎えするために、その時代の粋を集めてつくった伏見城の「日暮御殿」を神殿として寄進したもの。殿内部には入れませんでしたが、天井絵は狩野永徳・光信の作といわれ、また蒔絵などで極彩色に装飾された桃山文化の代表的な建築物です。 

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↓階段を降りると竹生島で人気のスポット、龍神拝所の「かわらけ投げ」です。私も夫の病気平癒祈願をこめて「えいっ!」と気合で鳥居に向かって投げましたが・・・。

↓鳥居の手前におびただしい数のかわらけが積み重なって いました。

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↓ここで竹生島の観光コースは終了。そろそろ出航の時間です。

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 続きます~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 


(2-2)木之本~高月~尾上温泉 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 鶏足寺から石道寺までは山道を下って向かいました。距離も短く徒歩10分ほどで石道寺を見下ろす石段のうえに到着。

↓はじめは鬱蒼とした山道ですが 

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↓道しるべもあり安心です

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↓途中から石段になります。

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↓下から見上げるとかなりな傾斜ですね

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☆石道寺   もとの石道寺は現在の場所から東1キロの山間にあり、726年に延法上人によって開基され、己嵩山を中心として栄えた仏教文化の名刹のひとつでした。戦国時代には信長の兵火により全焼しましたが、再興されたものの徐々に衰退。明治中期には無住の寺になってしまいました。大正になってから里人の手により移築、遷仏され、同時に高尾寺の仏像も一堂に合祀され守られています。

観音堂の右隣の受付棟で拝観料を収めた後、観音堂に案内されます。

↓本尊の十一面観音立像  平安中期の作、欅一木造り、極彩色 、173.2cm

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当然彩色は褪せていますが、優しい微笑みをたたえた唇のほのかな紅、裳裾に残る朱が古色のなかに華やかな残影をみせています。「村の娘のような」といわれていますが、室生寺の十一面観音像を思わせるような「山の仏」のきりりとした気品もあり、魅了されました。 

他には同じ厨子に旧高尾寺の十一面観音立像(平安中期、木彫金箔、101.6cm)が両脇に祀られ、重文の持国天・多聞天立像も安置されています。

↓観音堂

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↓石道寺の御朱印

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 木之本に戻るバス停は石道寺から西方向に700Mほど、ほぼ1直線の道を行きます。参拝者は車やタクシーで来られる方ばかりで、歩いているのは私だけです。10分ほどで高時川にかかる井明神橋の手前の広い道に出ます。

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ここを右折して50Mくらいにバス停。小さな待合所には椅子もあったので、バスを待ちながらおやつを食べたりのんびりできました。木ノ本駅までのバスの乗客は私一人でした。宿に戻り、預けた荷物をピックアップして次の目的地高月に向かいました。この日は長浜から木ノ本駅までSLの走る日でしたが、時間が合わず乗れなかったのは残念でした。蒸気機関車の煙や汽笛、走り去る姿を遠望しただけで終わりました。

 高月駅は隣駅なので電車で数分の距離です。早速、コインロッカーに荷物を入れて、湖北の観音の里では屈指の十一面観音を擁する向源寺の方向へ。 徒歩で10分くらいですが昼時も過ぎてましたので、見学の前に腹ごしらえ。

↓歴史民俗資料館のそばの食堂でお勧めの鮒ずし(稚魚のなれずし)をいただきました。

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 ☆高月観音の里 歴史民俗資料館   観音観音菩薩湖北地方高山の仏教文化を支え栄えた寺院の多くは時の流れとともに衰退し、無住・廃寺化したのですが、残された観音像は村の守り本尊として里人たちによって手厚く守られてきました。観音信仰は上から目線の押し付けでない民衆による自分たちの信仰なのです。それが私たちの心を打つのでしょう。

この資料館のなかでは最も美しい十一面観音座像です。今まで観てきた十一面観音は立像がほとんどでしたから珍しかったです。元は宇根(高月町)の冷水寺収蔵。少年のような面差し、あどけなさの残る仏さまに思わず「かわいい~!」。台座の彫も見事です。作風から平安期と思われますが詳しいことは不明。

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二階の展示はパスして渡岸寺観音堂へ。

↓「渡岸寺の野神」と呼ばれる欅の神木 

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↓渡岸寺の山門から境内へ

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 上の写真のお堂から入り廊下続きの収蔵庫へ。 ここに近江の至宝と言われる国宝の十一面観音立像が安置されています。

↓十一面観音立像(向源寺)檜の一本造 177.3cm 平安初期の作(9世紀)

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 展示室での仏像鑑賞はあまり好きではないのですが、厨子内にある場合は正面のみの拝観ですが、展示室の明るい照明の下では後や横からの形態をじっくり観ることができるという長所があります。 特にこの十一面観音は生き生きした動きの感じられる仏像なので、ぐるぐる回ってため息つきつつ拝観しました。大きなピアス式の耳飾りが大津三井寺の黄不動に共通することから9世紀の作と考えられています。戦国時代の信長と浅井・朝倉連合軍の戦いのときは里人たちが土の中に埋めて守ったという伝説もあります。女性的で高貴なプロポーションは私好みの古様で鄙びた仏像とは一線を画す堂々たるお姿で、圧倒されました。

↓ ここにはもうひとつ十一面観音立像があります。やはり向源寺にあったもの。カヤの一木造、39.3cmの 小さな仏像ですが、柔らかな微笑、水瓶を持つ左手や右手の自然な表現、全体の雰囲気も小ぶりながら匠の優れた技法を感じさせる優品です。

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  高月駅に戻り、今夜の宿の送迎バスが迎えに来る時間まで、構内のカフェコーナーでコーヒーでひと休み。今日の観光は順調に進み、予定より1時間早く宿に入ることができました。今夜のホテルは奮発して尾上温泉の名旅館として知られている「紅鮎」です。大抵のこのクラスの宿は一人客は受け入れないのですが、ホテルのコンセプトが人数にかかわらず「旅を楽しむ人の味方」とのことで、泊まることができました。

↓ ツインの角部屋。最新式のマッサージ機が置いてあり

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↓洗面所に続いての露天風呂。琵琶湖を眺めながら早速入浴しました。遠くに明日訪れる竹生島が見えました。

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 ↓そろそろ夕方です

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↓琵琶湖に夕陽が沈むころ

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↓夕食も朝食も部屋食を選べます ので、独りでも気兼ねなく会席料理をいただけます。さすがの美味三昧でした。(お刺身と揚げ物、締めのご飯ものは写真忘れ)

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 なお冷蔵庫の飲み物はビールも含めて無料。係の女性のさりげない心配りにも感心しました。就寝前に再び入浴、そしてマッサージ機で凝りほぐしして就寝。

 

 

 

 

 

 

 

 


(2-1)木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/6(日)

 朝風呂も貸し切りのお風呂(全部で3つ)が 使えたので、週末でもあまり泊り客が居ないのかしら?と朝食室に行ってみると、別室の団体さんも含めて十数人の姿。昨日の午後の玄関締め切り事件で泊り客は極少ないと思い込んでいたので、少々意外でした。

 9時にチェックアウトし、迎えに来たタクシーで医王寺へ。医王寺はバスの便がなく、一番近い川合のバス停から山道を2K以上は歩かなければなりません。タクシーの運転手さんに「バス停のある村から歩いて行くつもりだったのよ」というと、仰天されました。この山道は熊や猪、それに猿も出没するところなのだそうです。一応舗装はされていますが、すれ違う車もなく深い山道を抜けると、医王寺のある村落に着きました。お寺のそばに駐車場もあります。9:20分に予約していましたが、すでにお世話役の方がお堂を開けて待っていてくれました。早速正面の厨子に祀られている十一面観音立像を拝観させていただきました。

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  ☆医王寺  大箕山頂にある菅山寺の専暁上人が開基したと伝えられています。菅山寺は菅原道真公の所縁の寺で古い歴史のある寺院だそうです。その菅山寺への登り口にあたる医王寺には美しい十一面観音立像が安置されています。明治20年ころに長浜の古物商の店頭にあったのを当時の医王寺の住職が買い受けて、寺に持ち帰りお祀りしたとのこと。元は神仏分離政策がとられたとき近くの巳高山のお寺から流出したものと考えられています。フランスのロマネスク教会も革命時に破壊され、崩れた石や彫刻が売りに出されたというケースもありました。歴史の波に流されながら生き残った、その昔匠たちの手で祈りとともに刻まれたものたち。よくぞ、ご無事でと想い、祈らずにいられません。

↓写真は禁止ですが、観音堂の外からは許可されました。肝心の頭上が切れてしまいました。

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↓穏やかな微笑みを浮かべて 、細身の初々しさの残るお姿。樟1本造で、裳裾の表現などで、平安期(9世紀後半から11世紀前半)の作風と言われています。

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 今年の夏には東京芸術大学の特別展「観音の里の祈りとくらし展」

http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2016/nagahama2/nagahama2_ja.htm 

に貸し出されていたのですが、瓔珞や光背は壊れやすいのでここ医王寺に残されたそうです。その展覧会でご覧になって感銘を受けられた方が、つい最近ここまで訪ねて来られたとのこと。また井上靖氏も何度となくお参りされたとのお話など、山深いかくれ里 の美しい観音さまを前に非日常のゆったりした時間を過ごすことができました。

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 ↓医王寺の近くを流れる高時川

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 元来た道を戻り、次の目的地の巳高閣(ここうかく)・世代閣(よしろかく)でタクシーを降りました。(タクシー代約3500円)。こちらはガイドさんが1グループごとに案内してくれます。

☆巳高閣は巳高山諸寺に祀られていた諸仏のうち本尊十一面観音など重要な仏像を安置されています。799年最澄によって伽藍が建立され名を「巳高山鶏足寺」とされ、湖北の仏教文化圏の中核として江戸時代まで栄えたのですが、政情の変化や地理的悪条件から次第に衰退、昭和8年に本堂も焼失してしまいました。寺院跡は琵琶湖を眺める台地に礎石や庭園が残り、往時をしのぶことができます。なにしろ鶏の足跡をたどって行かなければならないことから名前がつけられたという山上の寺院跡です。ハイキングの上級者でなければ訪問は無理でしょう。巳高山(こだかみやま)標高922.6M。

↓旧鶏足寺の十一面観音立像  平安中期の作/172.1cm/檜一木造。瓔珞も身に着けず、一見素朴に見えますが、漂う気品はさすがです。カメラは禁止なのですべて絵葉書です。

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他には七仏薬師信仰の貴重な遺品の七体がそろった七仏薬師如来立像 (平安後期)など。

続いて世代閣 の見学です。

世代閣 この地の湖北仏教文化圏のひとつを形成していた世代山戸岩寺も時代の流れとともに消えゆく運命にありました。危機感を持った村人たちの献身的な努力によって守られた尊像、寺宝が収納されています。

↓魚籃観音 9~10世紀の作とされる古像/159.0cm   唐の時代に観音の化身が魚を扱う美女として現れた伝説から生まれた観音さま。珍しい観音様で私はほかで観た記憶がありません。肉感的な美女観音の持つ籠に魚が入っています。手の一部や籠などは後補。 

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 他には重要文化財の「薬師如来立像」奈良時代、「十二神将のうち三躯 」奈良時代など。

↓境内の風景

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 さて、これからは徒歩で鶏足寺(旧 飯福寺)と石道寺を回ります。

↓世代閣のある高台から

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↓道沿いの看板はありますが

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↓畑道を横断して進みます 

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↓北海道ではあまり見かけない赤唐辛子の畑

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↓今日は日曜日ですからウォーキングの方々がかなり歩いていて 、山道へは迷わず入れました。

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↓秋のさわやかな一日 、気持ちよく歩けました

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↓途中には茶畑(亀山)の広がる風景 

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登りの山道は私にはきつかったのですが、焦らずマイペースでようやく鶏足寺の境内に着きました。

↓まだ2週間ほど紅葉の時期には早かったのですが 、ここは紅葉の名所として知られシーズンには多数の観光客が押し寄せるそうです。

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↓急な石段の上がお堂なので、息も絶え絶えになり、ここで倒れたら真っ逆さまに落ちるぅ~と青ざめつつも頑張りました。 

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☆鶏足寺(旧飯福寺    飯福寺は735年に僧の行基が開基したといわれる古いお寺です。中世には僧兵を要するほどの大寺でした。本院であった鶏足寺が廃院になったため、名前を受け継いでいます。

↓現在小さなお堂が残るだけで、旧寺にあった仏像は巳高閣に収蔵されています。

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 ここから石道寺へは下り道です。続きます~。 

 

 

 

 

 



  

 

 


(1-2)木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

~続きです。

 徒歩では30分ほどの距離にある黒田観音堂へはタクシーで数分です。途中戦国時代の軍師黒田官兵衛の先祖黒田家発祥地といわれる墓所を通過しました。町を抜けると賤ケ岳の裾野にのどかな観音の里が広がっています。

↓余呉川に架かる橋。黒田観音堂は正式には霊応山観音寺と案内板にありました。

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 橋を渡ると少し小高いところに☆黒田観音堂。お堂の右に庫裏が建っていますが、無人のようです。連絡すると管理人さんがまもなく現れました。住職が居ないので、村落の人たちで持ち回りで管理しているそうです。写真右に柚子の木。

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↓ 屋根は保護のため茅葺の上にスレート板で覆われています。

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↓正面の扉を開けると狭い堂内奥の厨子に「千手観音菩薩像」が祀られています。奈良や京都の観光寺院では経験できない身近に近寄って拝観できる親密さが嬉しい限りでした。画像は撮影禁止のためNETから拝借しました。身長199センチ、蓮台を含めると3メートルの檜1本彫り。切れ長の眼は厳しくもきりっと印象的。左右十八の御手を持つ上半身は量感豊か。両膝の渦文の表現から平安時代の初期の作と考えられています。奈良時代の名僧行基が自分で彫り、お堂を建立したとも伝えられています。

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↓御朱印も用意されていますが、参拝日は印鑑なのです。こういうところは奈良や京都とは違います。

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 ↓黒田観音堂を右手に余呉川に沿って行きます。夏の夜は蛍が飛び交うという川堤に

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↓芒の揺れる小道と遠くに見える賤ケ岳。童謡の「静かぁな、静かな里の秋~♪」の世界です。

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↓ 昔は糸とりが盛んだったという部落の狭い道を抜けて、伊香具神社に寄りました。

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☆伊香具神社創建白鳳時代られ、「羽衣伝説」の舞台でもある古社とのこと。しかし賤ケ岳の合戦(1583)で本殿や主要な宝物も焼失してしまいました。正面の鳥居は両翼を広げた水辺に面した形をとり、かってはこのあたりまで琵琶湖の入り江であったと推察されています。背後には山が迫り、森林の中の境内は静寂そのものでした。

↓狛犬さんたち

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↓ 見晴らしの良いという賤ケ岳(422m)のリフト乗り場を過ぎて、左下に小学校の見える道路の脇に☆大音千手堂が見えました。

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↓苔むした石段のうえに小さな観音堂。

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 到着した旨タクシーの運転手さんが電話すると、まもなく小学生の男の子を連れたお母さんの管理人さんがやってきました。正式には「明音山千手堂」というこの観音堂の由来はなかなか立派なものです。弘法大師が作られた十一面観音像が本尊で、山岳峻難の地を切り開いて堂宇を建立されました。かっては霊場として栄えたのですが、やはり賤ケ岳の戦いのため堂宇はことごとく焼失。ご本尊を守るために川に沈めたのですが、行方不明になったため若狭から購入した十一面観音像を本尊にしています。本尊はその後発見され他所に移された模様。写真は許可されました。

↓御身体は黒く全体に量感豊か、先程拝観した黒田の観音様と同じく切れ長の眼。ふっくらとした顔に赤い唇が個性的です。ここもごく近くまでにじり寄っての拝観が可能です。

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小学4年という男の子もきちんと正座して、ラジカセから流れるお堂の説明を聴くのがほほえましく、この里に流れる観音信仰の篤さが伺えました。タクシーの運転手さんも地元の方で、昔の人は木彫りの観音様を玩具として、水に浮かべたりして遊んだそうです。

↓御朱印

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 3時過ぎになり、宿に戻りました(タクシー代は約5000円)。ところが、3時は普通はチェックインの時間ですから当然開いているはずなのに、まだ閉まっています「ありえない!」と怒りながらジリジリ・・・。タクシーの運転手さんが連絡してくれて、ようやくご主人のお母さんらしい耳の遠いおばあさんが現れて、扉を開けてくれました。やれやれ[冷や汗2]と、案内された2階の和室に荷物を置き、木ノ本の散策に出かけました。

↓地蔵院への道

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↓地蔵院の前の通りは「北国街道」で「木之本宿」のあったところです。

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☆木之本地蔵院 開山は奈良時代という古い歴史があり、ご本尊のお地蔵さまは秘仏として扱われ、30年に一度しか拝観できません。今年の8月はその御開帳だったようです。

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↓ご本尊のお地蔵様の真下は地下空間の「ご戒壇巡り」になっています。若いカップルが入っていったので、説明もよく読まないで続いて入ったところ。真っ暗闇~!!前に入った人たちの小声も聞こえなくなり、戻ろうと振り返っても漆黒の闇・・・「ひえ~っ!!」壁を伝わりながらようやく出口に到達。これほどパーフェクトな暗闇は経験したことがありません。外に出たら前にいたカップルに出会って、思わず「一人だから怖かったわ~!」「それは・・・コワイワ」と絶句&同情されました。

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↓北国街道の造り酒屋さん「富田酒造」。近江の地酒「七本槍」の蔵元として有名です。

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↓酒倉

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↓宿の近くの和菓子屋。明日のおやつにでっち羊羹など購入

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↓ 宿に帰りお風呂に入って、夕食。近江牛のしゃぶしゃぶ、鮒の子まぶしなど。ちゃんとした料理人の手が入っていない切って並べただけという内容。

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 隣室のテレビの音が夜中まで聞こえて、睡眠不足・・・。チェックインの時間、料金に見合わないお料理など、いろいろと問題のある旅館でした。

 

 

 

 

 

 

 


(1-1)札幌~木之本 [2016秋 湖北と明治村の旅]

11/5(土)千歳8:45→名古屋中部空港10:35/名鉄空港線で移動→JR名古屋駅12:19→米原12:44/12:56→木ノ本13:25  清泉閣1泊

 朝、カーテンを開けてびっくり! 昨夜からの雨が雪に変わっています。市内は積もるほどではありませんが、千歳のほうはどうかしら?心配しつつ札幌駅へ。この時期の北海道から本州への旅は15度以上と気温差が激しく、服装にも悩みます。特に今回は前半の湖北の観音巡りから帰途東京でのオペラ鑑賞まで、バラエティあり過ぎ…。日程は木ノ本、尾上 温泉、長浜、名古屋とそれぞれ1泊したあと東京2泊の6泊7日です。東京で着るものはホテルへ宅配便で送り、機内持ち込み用のキャリーにリュックを背負ってのいで立ちで颯爽と(現実はよろよろかな)出発しました。

飛行機は結局30分の遅れで離陸しましたが、本州上空は晴天。私の席からは北アルプスが見えました。

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  まもなく気温19度の名古屋に着陸。名鉄空港線の特急にぎりぎり間に合い、以後も計画通りに午後1時半には木ノ本駅に降り立つことができました。早速予約していた駅前旅館に荷物を預けに行ったのですが、玄関の鍵が閉まっていて、誰も出てきません。こういうことは予想していませんでした。途方にくれたものの、楽天トラベルで予約してあるから、大丈夫でしょうと再び駅に戻り、構内の観光案内所へ。今日徒歩で回る予定の二か所の観音堂の予約をしてもらいました。管理人さんたちの都合もあり、あまり遅くならないほうが良いとのことで、タクシーで向かいました。原則は前日予約とのことですが、週末は在宅していることが多いからと電話してくださって、親切な係の方に感謝です。

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続きます~。 

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